コメントに代えて

大阪ではPCがオフラインだったため、携帯からじゃ文字を打つのが大変でろくな事書けないので(普段もろくな事書いてないけど)今日になってしまいましたが、
『それでいいのかい?青春』☆様『寝る子は℃-ute』の光の裏側
を読んで。コメント欄だと長くなってしまいそうなのでトラックバックにて代えさせて頂きます。

寝る子は℃-ute』を観た℃-uteファンのうち、【いなくなった女の子】のことを想い、涙した人は少なくないと思う。
例えば、普通に物語を観ているだけなら、夏美を鏡の中から呼び出すシーンって泣くところじゃないはず。だけど、あのシーンですでにすすり泣きしてる声がいろんなところから聞こえてきてた。

僕も例外じゃなく、あの場面ではホントに泣いて泣いて…予備知識はちょっとだけ与えられていたので、ああこの場面が…という事もあったのですが、兎に角泣けたのです。舞台を観ながらこんなに泣いたのは何時以来だろうな、と思い返せば、去年の11月5日、松浦亜弥コンサートツアー千秋楽での事でした。
あの時は丁度めぐを失った直後で、3日のイベントに行って気分的に少しは上向いていたものの精神的には不安定で、ぁゃゃの歌を聴きながらフッと「めぐがぁゃゃ位の年になったら、どんなものを見せてくれたんだろう?」と頭をよぎった時点でもうダメね。座って聴く部分ではもう泣きまくり…これってさ、「夏美ちゃんにオバさんになって欲しかったよ!」て云うチョーさんの心情と同じなんじゃないかと。だからカラオケの場面はみんな楽しく手拍子とかしてたけど(そのお陰で歌はあまり聴こえなかったが)僕はそのとき号泣してたんだ。

3日夜の芝居の中で舞美ちゃんが泣いた時なんかは、特にそう感じずにはいられなかった。演技で泣いたのでは・・・なかった。それまでずっと堪えてきたものが、その時不意に溢れ出したような。
千秋楽ではその時ほど泣いていなかった。感情をコントロールしていた感じ。
だから余計に、23日の涙にはリアルさを感じる。
この『寝る子は℃-ute』で、やっと彼女たちは泣くことができた。
・・・そう考えるのはおかしいだろうか。
彼女たちだって本当は泣きたかったはずで。でも泣くわけにはいかなくて。だから笑っていたのかも知れない。

僕が実際寝るキューを観たのは23日昼のみなので、舞美やみんなの涙は見ていないのです。けれど、あの場面で泣く事はそれほど不自然じゃないと思うし、むしろ役に入り込めば泣けるんじゃないかと思っています。めぐを失った事に関しては人前で一切泣かなかった(泣く事を許されなかった?)彼女達は、それまではここで泣いてはいけないんじゃないかとコントロールしていたのかも知れなくて、でも舞台を重ねるうちに役に入り込んで…泣いたのかもしれないなぁとも思ったりしています。
この辺の解釈は色々あった方が良いと思いますね。


いずれにせよ、℃-uteの娘達はファンのみんなに泣いて欲しいとは思っていないと思う。(お芝居で泣くのは、泣けるお話なので大いに結構。)コンサ等で見せてくれるあの笑顔は、涙を隠すためのものでは無かったと思うし。
僕は、これからも℃-uteの7人を笑顔で観ていたいと思います。めぐの事は、大切な思い出として胸の中にしまっておくよ。そんな風にカッコつけてみた(笑)。